悠冴紀
2016年1月21日
●「根本教義──苦悩を勝利に、毒を養分に直すことは、
我々の力の為し得るところである。
苦悩への意志」
(遺稿より)
●「大いなる苦痛にしてはじめて精神の最後の解放者となる。
大いなる苦痛、我々をいわば生木で火あぶりにするような、
永いあいだのおもむろな苦痛にしてはじめて、
我々哲学者を強制して
我々の究極の深みにまで降りて行かせるのである。
このような苦痛が《改善する》ものかどうかをわたしは疑う。
しかしわたしは知っている。
それが我々を《深める》ことを」
(『楽しい学問』より)
●「最も深く悩む者は 最も深く美を欲求する。
──彼はそれを生み出す」
(覚え書より)
●「殆どすべての状態と生き方が 一つの至福な瞬間を持っている。
良い芸術家たちは そういう瞬間を釣り上げるすべを心得ている」
(『人間的、あまりに人間的』より)
●「気付いた者があるか、音楽は精神を自由にするということに?
思想に翼を与えるということに?
人は音楽家になればなるほど、
ますます哲学者になるということに?」
(『ヴァーグナーの場合』より)
●「到達された自由のしるしは何か?
――自己自身に対して恥じないこと」
(『覚え書き』より)
●「深く考える人間は、他人との交際において
自分が喜劇俳優であるかのような気がする。
彼等はそこでは、
理解されるためには常にまず表面を偽らざるを得ないからである」
(『人間的、あまりに人間的』より)
●「あらゆる深い精神は仮面を必要とする。
むしろ、あらゆる深い精神の周りには、たえず仮面が生ずる。
彼の与えるあらゆる言葉、あらゆる歩み、あらゆる気息の
常に間違った解釈、つまり浅薄な解釈のおかげで」
(『善悪の彼岸』より)
●「自分について多くを語ることは
自己を隠す一つの手段でもありうる」
(『善悪の彼岸』より)
――フリードリッヒ・ニーチェ