• 悠冴紀

名言集 from『翡翠の神話』悠冴紀著


新庭園のゴシック・ビブリオテーク(ポツダム)

●「あいつをこの世から失って尚、無慈悲に流れ続ける時間に、憤りさえ覚える。あの日を振り返らない日はない。そして振り返る度、自分の一部が死んでいく気がする」

── 第三部『不死鳥(フェニックス)』より

●一見何の問題もなさそうなその静かすぎる態度が、かえって心配だった。あからさまに自暴自棄な行動を取ったり、周りに当たり散らしたりする人間の方が、その実本当は手の差し伸べようのある人間であって、安心感がある。荒れた態度それ自体が、他者への甘えでありSOSなのだから。その意味で、彼のように自己アピールが一切なく、助けが必要な素振りすら見せない人間こそが、本当は誰よりも重症で、徹底的に心を閉ざしてしまった『失意の人』だったりするものだ。

── 第二部『ペガサスの嘶き』より

●これは、単なる現実逃避でもなければ、拒絶反応や心の壊死とも違う。今だからこそ、わかることだ。人間が生きていく中で諦められないものを見いだすことは、むしろ壊死への抗いだ。そしてそんな大事なものさえ諦めて、抗うことを完全にやめてしまったとき、人はついに本当の意味で死に至る。心の壊死が全体に広がって、内側から腐り果ててしまうのだ。

── 第一部『窓辺のスフィンクス』より

●「記憶など、往々にしてそういうものだ。憶えているつもりでも、いざ振り返ろうとすると、そのディテールは驚くほどに不明瞭で、他人事のように境界線が見えない。時系列に沿って整理するのですら、困難な代物だ」

── 第三部『不死鳥(フェニックス)』より

●「周りから壊れ物扱いされながら、このまま半端な立場でくすぶり続けるよりは、ねじれた道の原点に立ち返って、思い切りよく玉砕する方がずっといい。それこそが、私のような人間には相応しいフィナーレだ。そう思わないか、ヴァイス?」

── 第二部『ペガサスの嘶き』より

●「満たされていたときには見えなかったものが、今は見える」

 Jは静かに瞳を閉じると、独り言のような口調で語り出した。

「必要なとき、いつも傍にいて歯止めをかけてくれる『良心の代役』がいる間は、人間はむしろ、多少無茶をしても止めてもらえるという安心感に溺れて、思うがままに振る舞いがちだ。注意はされても見放されないことで、自分のすべてを丸ごと受け入れられたような気になって―─。

 それが今では、去りし者の意識が自分の中にまで入り込んで、記憶に刻まれたその眼、その学び、その気高さまでもが、この身の一部として同化してしまったかのようだ。相手に任せることができなくなった部分を、自分で補うほかなくなって。

……言い換えれば、自分が二度と無茶をしないよう、姿なき相手に内側から終始見張られているようなもの。この上もなく効き目のある押え蓋だ。望めどバカになどなれないさ」

── 第二部『ペガサスの嘶き』より

●「今は思う。本当に重要なのは、記憶そのものよりも感性だとな。たとえ詳細を忘れてしまっても、人間が一生を通じて体験してきたことは、感性や価値観の一部として、その後もずっと活きていくものだ。血となり肉となり骨となり……自分でも知らず知らずのうちにな」

── 第三部『不死鳥(フェニックス)』より

●「憲玲に恥じるような人間にだけは、決してなれない自分がいる。もう二度とな」

 一呼吸おいて、彼は話をこう括った。

「それが、互いに高め合う関係の行きつく、究極の成就というものじゃないのか?」

── 第二部『ペガサスの嘶き』より

●「あいつは『弱み』じゃない。俺には『強み』だ。二度と誰にも、利用などさせない」

── 第二部『ペガサスの嘶き』より

悠冴紀著の小説 PHASEシリーズ三部作

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