• 悠冴紀

試し読み②『PHASE』

更新日:1月6日


PHASEシリーズ 3部作

「ねえ、そもそも相転移って、どういう意味なの?」

「物理学用語さ。本来はな」彼が答えた。

「書いて字の通り、物質の相(=PHASE)が別の相に変化することを表現した言葉だ。最も身近でわかりやすい例は、H²Oの変化だな。水が冷えて氷になったり、蒸発して水蒸気になったりするだろう?」

 それなら理解できる、と絵梨は相槌を打ちながら聞いていた。

(中略)

「温めると水蒸気になることからわかるように、H²Oは気体のときが最も高エネルギーなんだが、そうやって熱エネルギーに満たされている間は、水分子がバラバラで不安定だ。逆に水分子が秩序だっていて有形のときには、熱エネルギーは損なわれていて冷たい」

 絵梨の頭の中では、彼の語る水の話が、人間の姿に置き換えられてイメージされていた。決まった形を持たないからこそ自由で熱い水蒸気は、まるで可能性に満ち溢れた子供のよう。反対に、揺らぐことなく安定し、体積を増してさえいる硬くて冷たい氷は、身体が大きくなり一定の生活パターンに落ち着く代わりに、情熱と心の自由を失った大人のよう。

「どんな"相"にも必ず正負両面があって、多角的に全体を見れば優も劣もないとわかるはずなんだが、物事の中から見たいパーツだけを切り取ってきて、都合のいい美学に結び付けようとする人間が多いのが、現実だ。そこに組織だった力が加わると、いよいよ面倒なことになる。今直面している教団の問題も、そうした典型例の一つさ」

 目の前の問題だけで頭がいっぱいになっている絵梨とは違い、彼は一貫して、世界には他にも多くの類似する例があるということを念頭に語っていた。この閉ざされた地下空間に拠点を構え、特定の限られた仲間たちと活動している身だというのに、不思議と彼その人の観点が、この枠組みの中にない。目の前にいるのに、そこにはいないのだ。 そんな彼を、絵梨が捉えどころのない気分でしげしげと眺めていると、彼は、鋭い眼光を持つその神秘的な翡翠色の瞳に、縹緲とした様を付加してこう括った。 「誰が何を信じようと勝手だが、己の欠けた視野で見る理想のために魔女狩りを始めたり、武力で強要したりする連中は、病気だ。そんな連中の手で推し進められた世界秩序の相転移なんてものが、払った犠牲に相応しい平安をもたらした例など、人類史上に一つとしてない」

from 小説『PHASE(フェーズ)』悠冴紀著

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