• 悠冴紀

試し読み③『PHASE』

更新日:1月6日



 すっかり調査に行き詰ってしまった新見探偵は、今日も進展のない状況に溜め息をつきながら改札を抜け、帰途に就いた。終電ぎりぎりで帰ってきただけあって、駅を離れて少し歩くと、みるみる人気のない夜の静寂が押し寄せてきた。

 街の寝息とも言えるそんな静けさに一日の終わりを実感しながら、細い路地裏に踏み入ったときだった。彼は突然、身体に違和感を覚えて身動きが取れなくなった。掴まれた左肩とひねられた右腕の痛みを自覚し、背後の存在に気がついたのは、数秒あとのことだった。

「新見探偵、ですね?」

 背中越しに相手が語り掛けてきた。二十代ぐらいと思われる若い男の声だ。

「だ、誰だ!? 何のマネだ!」

 新見はどうにか腕を振り払おうとしたが、相手の力が思いのほか強く、身体が無駄に反り返って痛みが増しただけだった。

「どうかお静かに。大人しく話を聞いてくださるなら悪いようにはしません」

 手荒な形で接触してきた割には、口調はいたって丁寧で、声に敵意も感じられなかった。

「お伺いしたいことがあるんです。あなたはある男の似顔絵を持っていますね?」

 その一言で、新見はピンと来た。紫装束の教団の関係者なのだと。他の調査対象なら、隠し撮りをしてでも必ず顔写真をファイルに収めておくのに、まるで架空の人物であるかのようにどこにも記録がなく、僅かな証言を基にした似顔絵しか得られなかった対象は、例の外国人らしき男一人だけだ。

「あなたの依頼人から遡って、我々はあなたにたどり着いた。あなたはどうやって彼のことを?」

「情報源は明かせない。守秘義務がある」

「複数の目撃証言からシラミ潰しに、というところですか?」

 わかっているなら訊くなと言いたかった。

「ご安心ください。我々はただ、彼の居所を知りたいだけです」

「そんなこと、私に訊かれたって皆目見当もつかないよ! とにかく放してくれ!」

 新見が痛みに顔を歪め、投げやりにそう叫ぶと、相手は意外にもすんなりと聞き入れた。

「いいですよ。ただし、振り向かずにそのまま話を聞いてください」

 約束通り探偵の腕から手を放すと、男がおもむろに語りだした。

「これはある方からの伝言です」と──。

『我々は一枚岩ではない。教団の暴走を嘆き、自組織のしようとしていることを疑問視している者も、一人ならずいる。だから手を引いてもらいたい。下手に部外者が割り込んでくると、そうした者たちにまで危険が及んで、誰も協力しようとしなくなる』

 伝言を託した主の口調まで真似ようとしているのか、さっきよりも声が低くなり、年齢が上がったような印象を受けた。

『教団は我々で止める。そのためにはまず、Jと呼ばれるあの男を見つけ出す必要がある。彼に関することで、これまでにあなたの掴んだ情報を、洗いざらい教えてもらいたい』

 その話に、新見探偵は困った顔をして肩をすくめた。

「訳がわからないな。そういうことこそ、私より君たちの方が知っているんじゃないのか? 私は彼の呼び名すら、今この場で聞くまで知らなかったんだからね」

 相手に背中を向けたまま、新見探偵は続けた。

「憶測の域を出ないが、彼は教祖の手足となって陰で立ち回っている、いわゆる始末屋だか実行犯だかの一人なんだろう? それなら、内部にいる君たちが探りを入れる方が、よほど正確な情報を得られると──」

 話の途中で、不意に背後の男が後ろに退き、いくらか距離を取っていくのが、背中に揺れる空気の変化でそれとなく感じ取れた。

 振り向くに振り向けない新見探偵が、その場でじっと反応を待っていると、男が本来の声に戻り、重々しい口調で言った。

「……彼は、単なる『手足』ではありません」と。

 男は新見探偵の脇の下から、A4サイズの白い封筒を手渡した。

 開封して中を覗くと、一冊のファイルが入っていた。

「あなたが調査の過程でたどり着いた彼が…、つまり似顔絵の男が、もし本当に我々の思っている人物なら、それが彼の正体です。彼を捜し出すことが問題解決の重要な糸口になるということが、それでおわかりいただけるでしょう」

 聞きながらファイルに目を通して、新見探偵はギョッとした。

「こ、これは……!? では、彼が最初の……?」

 ファイルには、渦中の男の、教団関係者のみが知る出生の秘密が記されていた。

「これだけは信じてください」どこか哀しげな響きを込めて、背後の男が訴えかけてきた。

「問題を抱えてはいても、信仰や教団自体は『悪』ではありません。ガン化した細胞のように我々の内部から生み出された脅威が今、強烈な力で組織を導こうとしているのです。道を誤った危うい方向へ。私を遣わしたお方は、それを止めたい一心で、こうしてあなたに接触を──」

 一呼吸おいて、男は言った。

「あなたは彼の行方だけを探り続けてください。私たちを信じて、教団内のことはこちらにお任せいただくよう、くれぐれもお願いします」

 そこまで告げてから、男は静かに立ち去った。新見がやっとのことで振り返ると、ほんの一瞬、遠ざかっていく男の後ろ姿が見えた。自分を押さえ込んでいた腕力の強さからは想像できないような、意外に小柄で華奢な人物だった。

from 小説『PHASE(フェーズ)』悠冴紀著

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