悠冴紀
2014年6月9日
泣いている
毎日毎日
泣いている
扉の向こうにすべての人間を閉め出して
一人という安全に身を置くと
私は毎日欠かさず
泣いている
涙は余計な感情を洗い流す道具
考えることにさえ疲れてしまったから
ただひたすら涙を流す
他人に何かを求めることが
どれだけバカらしいか覚ったから
一人で泣く
この人生には
邪魔なものが付着しすぎている
うっとうしい感情が多すぎる
だから 大粒の涙を搾り出して
さっさと汚物を流し出す
それでも毎日泣いている
流しても流しても尽きない汚物
私はやっぱり泣いている
他に手が無く
気力も無く
虚脱の底で泣いている
痛みを感じる余裕も無く
いちいち傷つくのも面倒で
とりあえず 泣く
同情も勘違いも
うっとうしくて
誰にも見られないように 泣く
汚物が溜まっては 泣く
麻痺した心で
どうでもよくなった命の垢を落とすため
私はまた泣く
毎日泣いて暮らしている
※これは確か、二十歳ぐらいのとき(1997年頃?)に書いた詩だったと思います。
タイトルから想像されがちな、思わず手を差し伸べてあげたくなる繊細でしんみりとした涙の詩、ではなく、本作はいかにも私らしい荒っぽくて醒め醒めとした自己完結型の泣き方を表現した可愛げのない詩です m(_ _)m
当時の私は良くも悪くも個人主義的で、誰の助けも憐れみも期待せず、さっさと振っ切るためにこそ思い切りよく涙を流し、灰汁抜きというかデトックスというか、ストレス発散の目的で敢えて存分に泣いていました。(←扉を閉め切り、一人になったときだけ、の話ですが。)
そして、そうやって人知れずせいぜい泣き倒した後には、むしろすっきりした気分になって、独りで勝手に立ち直っている。そういう人間だったのですf^_^;
ですが、そんな発散方法でさえ流し切れないほど、次から次へと厄介事が降りかかってきて、身の周りの状況が手に負えないほど怪物化してしまうことは、やはりある。この詩はちょうどそういう時期に書いたものでした。
注)私の作品を一部でも引用・転載する場合は、必ず『悠冴紀作』と明記してください。
自分の作品であるかのように公開するのは、著作権の侵害に当たります m(_ _)m