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  • 悠冴紀

伊勢志摩小旅行記~伊雑宮 篇

更新日:2023年2月24日


本日は、7月22日に訪れた伊雑宮(いざわのみや)👇 の参拝日記、

何を隠そう、今回の小旅行において私が第一目的としていたスポットです(^_-)-☆

(いつもなら、水族館のサメこそが第一目的な私ですが、今回は珍しく違った!)

ここは伊勢神宮内宮の別宮に当たるところ、……なのですが、実は地元の年配の方々に言わせると、元々はこの伊雑宮こそが本宮だったのに、それを認めると政治的に都合が悪い(←皇室と直結の内宮が、伊雑宮より格下になってしまうからw)ということで、時の権力者によって外宮内宮よりも格下の別宮ということにされてしまった、という曰くつきのお宮。なんと、1679年に発見された『先代旧事本紀大成経』に、内宮は星の神を、外宮は月の神を祀る社であり、本当は伊雑宮こそが日の神、天照大神を祀る社だったと記されていたことから、ちょっとした騒動が巻き起こった模様です。(この件を巡って伊雑宮の神官が流刑になったり、発見された書物自体が発禁処分になったり、出版した書店主まで追放されてしまったりで、実際には「ちょっとした」なんてレベルではなかったようですが A^_^;)

💡 更には、(こちらはかなり眉唾ネタですが)こんなオカルト的な噂もあります。

この伊雑宮の裏社紋はダビデの星と同じ六芒星で、以前は六芒星の御守や六芒星の刻まれた石灯篭などもあったことから、イスラエルから渡来した預言者イザヤが、実は「いざわのみや」の名称の由来ではないか、とする説です。つまり元々は「イザヤの宮」だったに違いない、と……。

ここまで聞いただけでも、

いかにも私が興味を引かれそうな、謎めいたスポットだと思いませんか、皆様?(笑)

(ミーハーなスポットや正統派な存在よりも、ちょっと問題があって、日陰者扱いされているような対象の方が、あれこれ探って想像する余地や、書いて面白いネタが転がっている、という物書きの性ですな、ハイσ(^▽^;))

…… とは言え、五芒星なら今も海女の御守とかで出回っているし、陰陽道などでも重要な印(←安倍晴明も使っていた、かの有名なセーマンというやつですね)として知られているし、六芒星にしたって、必ずしもダビデの星とは限らないんですけどね f^_^; いずれも魔除けと見なして使ってきた国や文化が複数あるし、そもそも空を見上げりゃ、どこの国のどの時代でも星があるわけで、たまたま同じ形で表現しただけかもしれません。極端な話、伊雑宮が日の神を祀る社だったという説に乗っかって考えれば、五芒星よりも角が多くギラギラして見える六芒星は、ひょっとしたら星ではなく太陽を表現していた、という可能性だってあるw

── まあ、真偽のほどはともかく、

あれこれ夢想するのが楽しいんですよね、こういう話って^_^;

(科学至上主義の窮屈で醒めた時代ですから、定かでないものに飢えているのかも σ(^▽^;))

でも、上に挙げた怪しげな噂の数々が、

伊雑宮を第一目的とするほど魅かれた理由ではありません。

私がここ伊雑宮に強く心惹かれた最大の理由は、

実は サメにゆかりのある社 だからです!!

シロワニ(鮫)

「出た~!!('Д') やっぱり!!」

と思った人が、少なからずいることでしょう(笑)

そうですよ、私と言えば、やっぱり鮫ですよ、鮫!!

( ↑ オイッ、鮫好きである前に、物書きじゃなかったのか??? ヾ(ー ー;) )

三重県は志摩市、磯部の地にあるここ伊雑宮には、深海(神界)からの使者としての七匹のワニ(←サメのこと)が、毎年決まった時期に大海原からやってきて、川を遡上してお詣りするという『七本鮫の磯部さん参り』の伝承があります。あるとき倭姫命の夢枕に神が現れ、その七匹のサメたちが向かう先に良い場所があるとお告げをなし、明朝サメたちに導かれて行ってみるとこの地に行きついたので、社を建ててお詣りするようになった、というのです。つまりここ伊雑宮は、サメが指し示した神聖な場所、というわけです。(※ちなみに、今でこそ「一体どこに川が?? 見渡す限り深緑に包まれたスポットなんだけどw」と思うような奥まった場所にありますが、元々は河口近くにあったそうです。七匹のサメたちが通ったという問題の神路川は、天岩戸を源流としていて、今は磯部川と呼ばれています。)

鮫ファンにとっては、聞くからに気になる場所ではありませんか!?

神の使者ではなく、鮫を神そのものとして祀ってくれている祠や社があれば

もっと嬉しかったんですが(笑)、そこはまあ、我が侭を言わず素直にありがたーく拝んでおきました。七匹の鮫たちのお導きで行きついたという、ここ伊雑宮にて、世界中の鮫々の繁栄と健勝を願って (。-人-。) ← ハイw 鮫のことで頭がいっぱいだった私は、自分の個人的な願い事の類いは、すっかり忘れていました(汗) この後訪れた内宮でも、要所要所で手を合わせる度、鮫々のための安全祈願ばかり…。どうせ鮫絡みの願い事をするなら、せめて「今年は今まで見たことのないレアザメに出会えますように~ ♬」くらいの個人的な我が侭も願っておくんだったと、後になって気がついた間抜けな私であります σ(^▽^;)

あ、ちなみに、地元民や鮫ファンの間では有名な(?)七本鮫伝説ですが、

後に、七匹のうち一匹が、伊雑宮からの帰りに地元の漁師に殺されてしまい、

怒った残りの鮫たちが漁師を食い殺してしまう、というエピソードもあります。

以後、残された六匹の鮫たちが、尚も健気に毎年伊雑宮にお詣りし続けた、と…。

ちょっと切ないですねー、仲間をなくし六匹になってしまった鮫ちゃんたち 😢

💡 あと、鮫に多少知識のある身なら、やっぱり気になるのが、渦中の七本鮫の種類ですよね? 皆さんは何鮫だったと思いますか? 鮫研究が進みつつある現代の観点だと、「川を遡上してきた」という点から、ついついオオメジロザメ(←体内の塩分濃度を調節する機能がついているので、淡水の川や湖にも現れる種)かなと思ってしまいますが、この伝説が囁かれるようになったのは、鮫の種別の生態が今ほど詳しく知られていなかった時代。それに神話や伝説というのは、現実にはあり得ないような突飛な内容を多々含んでいるものですから、こういう根拠は当てにならないかな、と思います。

私個人的には、人に出くわしやすい身近なところに現れる鮫で、神の使いという役どころにピッタリな威圧系の強面、しかも名前に「ワニ」とつくシロワニが、この伝承を知って最初に思い浮かんだ有力候補だったんですが、古事記(因幡の白兎)にもあるように、「ワニ」というのは鮫の古語であって、必ずしもワニザメ系の鮫々に限定した表現ではありません。

……と、色々考えていくと、もう何でもござれというか、

  候補が多すぎて、絞り切れませんね w

たとえばアオザメとかヨシキリザメとかホホジロとか、

特徴ありすぎるけどオナガザメやシュモクザメの可能性だって考えられる。

さすがにジンベイやウバザメのような超巨大種は、

川を上る七本鮫にしては大きすぎて対象外でしょうけど(笑)

まあ、このあたりも、明確化せずに残しておくのがかえっていいというか、

伝承ならではの古代ロマン、鮫ファンにとっての海洋ロマン、

ということで、好しとしておきましょう(笑)👍

伊雑宮の隣にある御料田 黒木の鳥居

ところで、伊雑宮がある磯部の上之郷は、観光地化の進んだ外宮内宮の賑わいとは掛け離れた長閑な場所で、一見すると伊雑宮以外に何もなさそうな印象があるんですが、実は、探せば他にも色々と見どころがあります。それも、またもや伊雑宮にまつわる裏話と同様、官憲の手で一方的に葬られそうになってきた重要な遺跡の僅かに残された痕跡とか、その昔焼失した寺院の寺号から名前がついた(という説がある)スポットとか、そういう謎めいたところが点々と A^_^;( ⇓ ページ下のスライドショー参照)

一つ一つ取って見るとかなり小規模で、「何かがある場所」ではなく「何かすごいものがあったはずの場所・痕跡」という感じで、ともすれば見過ごしてしまいそうなんですが、時代から取り残されたような静かな田舎町で、あちこちに点在するそういう小さな見どころを、地図を片手にウロウロと探して回る楽しみは、どこか発掘探検のようなワクワク感があり、また私個人的には、何度となく史跡巡りをした明日香村(奈良)に近い印象もあって、初めてでありながら懐かしみを覚えました (#^^#)

今回は、朝から雨が降ったりやんだりで、天岩戸にまではたどり着けなかったんですが、何やらすっかり気に入ってしまいました☆彡 私好みのマニアックな旅 ♬ 観光客が少なくて、静けさに包まれている感じも、ホッと寛げて良かったです。今後、志摩方面を再訪する機会があれば、是非また訪れたいですね、秘めたるものがふんだんにある神話の里、上之郷を(*^-^*)


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