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  • 悠冴紀

名言(名場面)集3 from『クルイロ~翼~』


●表現する側は常に、それを解する観客を念頭にイメージを膨らませ、形にする。それも、世の中の不特定多数の人々ではなく、この人にこそ観てもらいたい、この人を頷かせるようなものを創りたい、と思える観客を一人見出してその眼を思い浮かべるだけで、自ずと創作意欲が沸き起こり、イメージは無限に広がっていくのだ。

 中には、同じ時代の身近な場所には 求める観客を見つけられず、どこか遠くの世界の面識もない誰かを念頭に、あるいは時代を超えた後々の世に いつか理解者が現れるものと信じて、孤独な創作を続ける者もいる。だがボリスは、同じ時代のあまりに身近なところに、彼なりに理想と思われる観客を発見した。それがアレクセイだった。

 ボリスの個性と持ち前のセンスをあるがままに受け止めた上で、そのむき出しのプレーを面白いと感じ、絶えず更なる表現を期待し続けるアレクセイという観客がいたからこそ、ボリスは自分を信じて最大限に楽しみながらプレーすることができたと言える。

●「俺にとって一番のウィングは、やっぱりお前だ」

●「俺が言いたいのは、俺たち二人の能力が、切り離せない関係にあるということなんだ」

●誰かと一体化してしまうことは、同時に、何かの拍子に一方が転んだとき、もう一方も引きずられて共倒れになってしまったり、なんらかの形で片割れを失ったとき、自分自身をも見失ってしまうというリスクを負うことでもある。

●一度は満たされた欲求が、その手から零れ落ちて失われることは、はじめから満たされることを知らずに成長すること以上に辛く、引き裂かれる。

●視野の広さも定評となっていた。少年時代のボリスには、一部のことに集中しすぎて他の事柄を見落としてしまうという傾向が垣間見られ、人や物事の本質を深く鋭く見通すことのできる洞察力がありながら、状況把握が断片的なものになりがちだった。それがユース通いを始め、プロ入りを果たし、オランダへ、スペインへと突き進むにつれて、つまりアレクセイから離れるにつれて、みるみる改善されていった。

 一つのことに心を囚われると全体が見えなくなる、とはよく言ったものだ。

 繭(まゆ)の中で温めてきた“スクラートフ・サッカー”に確かな形を与え、集団競技として具現化するためには、皮肉にも彼の心を独占してきた『一つのこと』であるアレクセイから離れて、チームを率いる上で不可欠な視野の広さを獲得する必要もあったのだ。

●創造力とは一体何なのか? アレクセイが思うに、それは『イメージを具現化する力』のことである。事実ボリスは、目には見えない内的なものを思い描くだけで現実に変え、多くの人々の心を動かしてきた。しかし皮肉なことに、プラスのイメージで何かを創造し、プラスの影響を与える力の持ち主は、マイナスのイメージで何かを破壊し、マイナスの影響を与えることができる人物でもある。

●人間は同化して一つになることなどできないし、そんな思いに囚われることは危険だ。だが、独立した二個の存在として、互いに必要な部分を吸収し合い、学び合い、支え合って生きていくことならできる。完全に離れてしまうことなどないのだ。せっかくこの広い地球上で巡り合い、これほどまでに通じ合える無二の親友になり得たのだから。

「これで僕たちは、不完全な“片割れ”を卒業して、名実ともにちゃんと“二人”だ」

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