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  • 執筆者の写真悠冴紀

詩『幽 霊』

更新日:2023年2月24日



誰も私を見ないでくれ 誰も何も期待しないでくれ 君等の理想は幻だ 真の私はそこにはいない 誰の目にも留まらず 誰の記憶にも残らず 触れることもできない存在になれたなら…… そう、 君がしたのと同じように 私も世俗の一切を締め出したかった あらゆる人々の視界から 消えてしまいたいと今も思う あれから何年が経つのだろう 君が独り 姿を消して 次元の異なる存在になってしまった 大勢の濁った視線の中で 道化になり果てていく私を見て 君はむしろ幽霊であろうと決めた 君に筋違いな演技を求め 主義に反することにまで

加担させようとする人々の視界から 君は生きながらにして消えてしまった 君が見えない どこにも見えない

賢明すぎて

幽霊になった できることなら

私もそうなりたかった 誰の幻想にも踊らされない 厳選された真実の中で あるがままに

ただ生きて…… 後ろ盾のなかった私は 生活のために 道化になった 逃げ込める場のあった君は 生活を人に任せ 幽霊になった           ごびゅう 周囲が向ける数多の誤謬から 君と同じ 不可視な世界へ あらゆる枠組みから 立ち去りたい


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これは一言で言うと、逃避願望の詩ですね(笑) 自分を知っている人たち(←知ってはいるが分かっていないという程度の知人群)が誰もいない遠いところに旅に出かけたり、どこでもいいから今いる場所から引っ越して遁走したい、とかいう心理に近いものかもしれません。 たぶんこの詩を作成した頃の私は、自分に向けられる周りの筋違いな目線に疲れて、内心ウンザリしていたのだと思います。元々ひと所に長く居つかない性分だったのに、珍しく何年もの間同じ場所・同じ職場に腰を落ち着けて、地元民に面が割れすぎてしまっていたから、ここいらでそろそろドロップアウトして、心機一転したいな・・・と A^_^;) 今いる場に馴染めないからではなく、苦痛を覚えていたはずのことにさえ感覚がマヒするほど慣れすぎてしまったからこそ、潮時ではないかと思うようになった。そんな心境でした。 ── え? 意味がわからない? この心境、この手の危機意識は、別の詩作品「モノ」を読み返していただければ、少しはおわかりいただけると思います A^_^;) m(_ _)m ちなみに詩中の“君”というのは、過去に私と20数年間付き合いのあった幼馴染の(元)親友のことです。その潔癖な性格ゆえに、引きこもりという形で世の中を放棄し、いつからか連絡も取れなくなって消息不明になってしまいました。今後my作品に度々登場してきますので、気長にお付き合いくださいませm(_ _)m 欺瞞に満ちた社会生活の中で、周囲から不本意な期待をされ、本来の自分像に合致しないイメージに縛られてしまったり (←これは私自身が、中身は鮫キャラなのに、どちらかというとイルカ系の真っ当な感じに見えてしまうという外見上のギャップのせいもありますが:汗)、その延長上で、無意味な茶番や決して加担したくないようなことにも加担するよう求められるという、人の世の面倒くさ~い絡みに嫌気がさす度、私は「やはりあの親友のように、俗世間との関わりを断って自分一人の閉ざされた世界に引きこもった人たちこそが、本当は誰よりまともで健全な精神の持ち主なんだろうな……」という気がしてなりません (;一_一) ここにいる今の私とは対照的に、彼等彼女等は、自分を裏切らずにすむ賢明な選択をしたんだ、と。 ただし、どんなに余計なことに加担しないよう大人し~く引きこもっていても、人間が生きていくためには、お金を払い電気や水やガスを消費しながらご飯を食べていかねばなりません。そのために必要な活動の一切をも放棄するのだから、結局は、自分を食わせてくれる誰かに甘え、その人物に、自分がやりたくないこと(=社会の矛盾への加担等)を代わりにやってもらうことで「引きこもり」という状態を可能にしているわけです。そのあたりの現実的なことを考えると、実に偽善臭い選択とも言えますね (ーー;) 自分の潔白さを保つために、誰かを身代わりの犠牲にする。それでも潔白と言えるのでしょうか??? タイトルにあえて「幽霊」(←「透明人間」でも良かったんですが A^_^;))という、ファンタジー作品を連想させるような現実味のない一語を選び、逃避願望を表す比喩に使ったのは、あくまで私がそのあたりの現実問題を無視しきれず、ドロップアウトしたいと望みはしても、所詮実現し得ないだろうということもまた、よくよくわかっているがゆえです。つまり、たとえ今目の前にある状況から言葉通りにドロップアウトしたとしても、親友と同じように半永久的な「引きこもり状態」に持ち込むというような選択は、何だかんだいって私ならしないな、と── (;一_一) たとえ自分で手を下さなくても、食べるものの一つ一つでさえ、立派な殺生の上に成り立つもの。もっと細かく言えば、食卓に焼き魚一匹が登場するまでの過程でさえ、親友Sが加担するに堪え得ないと感じるような、利害渦巻くビジネス主体な社会のシステムを通過して、やっとのことで一般家庭の食卓にまで到達するもの。 そういう当たり前の現実を、現実的に踏まえた上で尚、「生きていくためにゃ避けられないんだから仕方がないだろw 考えるだけ無駄」と完全に開き直って倫理観を麻痺させるのではなく、また逆に、絶対的に潔白な生き方などという地に足のつかない理想を求めるあまり、新たな矛盾や偽善に落ちるのでもなく、許容範囲でほどほどに手を汚しつつも、随時ライン引きをして度が過ぎないようブレーキをかけながら、自分なりのバランスを模索していくほかない。人間としての品性を落とさないよう、辛かろうが苦しかろうが、自問の余地、内省的な観点だけはしっかりと保ちながら。 これが私のスタンスというか、心がけている在り方なんです、ハイ f^_^;) 注)私の言葉を一部でも引用・転載する場合は、必ず『悠冴紀著』と明記してください。自分の言葉であるかのように公開するのは、著作権の侵害に当たります m(_ _)m

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