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執筆者の写真悠冴紀

村上春樹の言葉


小説家によってつかれた巧妙な嘘は、

あたかも本当のように見えるフィクションを作り出すことによって、

新たな場所に「真実」を導き出し、その真実に新しい光を照らすことができる。

多くの場合、「真実」をもとのかたちのまま理解し、正確に表現することは事実上不可能です。

だからこそ僕たち小説家は、その隠された場所から真実を誘い出して尻尾を掴もうとし、

フィクションの位置に移し替え、フィクションのかたちにそれを作り替えるのです。

ここで非常に個人的なメッセージを送らせてください。

これは僕がフィクションを紡ぐ時、常に心に留めていることです。それはこういうことです。

「高く、固い“壁”と、それにぶつかると割れてしまう“卵”があるとき、僕はいつも卵の側に立つ」

僕たちひとりひとりが、多かれ少なかれ「卵」です。

僕たちは唯一かけがえのない魂を内包した、壊れやすい殻に包まれた卵なのです。

これは僕にとっての真実であり、皆さんにとっての真実でもあります。

そして僕たちはそれぞれ ―― 多少の違いはあっても ―― 高くて固い壁に直面しています。

その「壁」の名は、「システム」です。システムは僕たちの守りを固めるためのものですが、時折自己増殖して、冷酷に、効果的に、システマティックな方法で、僕たちに殺し合いをさせるようし向けます。

僕が小説を書く理由は、ひとつしかありません。

それは個々人の魂の尊厳を立ち表わせ、光をあてることです。

「物語」の目的とは、システムが僕たちの魂を蜘蛛の巣のように絡め取り、

その品位を落とすことを防ぐために、警戒の光をあて、警鐘を打ち鳴らすことです。

僕は強く信じています。物語を書きつづること、人々に涙や慟哭(どうこく)や微笑みをもたらす物語を書くことによって、個々の魂のかけがえのなさをはっきりさせようとし続けること、それこそが小説家の仕事であると。

僕が今日、皆さんにお伝えしたかったことは、ただ一つです。

僕たちは誰もが人間であり、国籍や人種や宗教を超えていく個人であり、システムと呼ばれる固い「壁」に直面する「卵」だということです。どう見たって僕たちに勝ち目はなさそうです。壁はあまりにも高く、あまりにも強く、そしてあまりにも冷たい。もし僕たちに勝利の希望がいくらかあるとすれば、それはかけがえのない独自性を信じ、自分と他の人々の魂とを互いにつなぎ合わせた「暖かさ」に頼るしかありません。

少し考えてみてください。

僕たちはそれぞれ、いまここに実態のある魂を持っています。システムはそれを持っていません。

僕たちはシステムが僕たちを司ることを許してはなりません。僕たちはシステムがひとり歩きすることを

許してはなりません。システムが僕たちを作ったわけではありません。僕たちがシステムを作ったのです。

2009年2月15日 エルサレム賞授与式のスピーチより

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