ライン川のほとりで 人知れず傷付いた足を癒すライオンを見た ナイル川のほとりで 人知れず涙を拭う隼を見た ボルガ川のほとりで 人知れず疲れた翼を休める鷲を見た 望んだ勝利を得た果てに 「独り」という代償の重みを知り 目指した理想の向こう側に 壊れた文明の廃墟を見る 枠組みの中の王者たち かつてすべてであった王冠を背に 風の泉に帰り着く 雲分ける風に吹かれるとき あるがままの現在(いま)を知る 泉の水面に触れる時 優も劣もない未来(あす)を知る かつて不落と思われた 巨大な要塞の跡地から 幼い草木が芽吹きだす 堅い守りの城壁の 崩れた瓦礫の下から 白い大地が鼓動を始める 闇にあらず 光にあらず そこは冷厳なる風の泉

※2002年(当時25歳)の作品。 以前、この詩を読んだ人物の一人から、「ライン川やボルガ川やナイル川っていうのは実際に行った場所?」 と尋ねられたことがあるのですが、この詩は決して旅行記や見聞録といった類のものではありません (^ ^;) どこの川で何を見た~、というのはあくまで暗喩であり、世界の様々な地における権力者たちの末路を表現した、象徴文学系の一作なのです。 〝ライオン〟は言わずと知れた百獣の王。〝隼〟はエジプト神話におけるホルス神を指す。(ホルスは万能の眼を持つ神で、歴代のエジプト王はそのホルス神の化身だと考えられていた。)〝鷲〟はロシア他いくつかの国々で権力の象徴とされ、国章にもなっている。 現代は科学技術の発展によって、多少条件の悪い場所であっても、人間が住み暮らしていくのに必要な設備を築き、土地を改良していくことが可能になりました。ですがかつては、文明は水資源に恵まれた川の周辺に起こるものでした。そしてそれぞれの文明、それぞれの国家には、ルールを定め人々を束ねようとする権力者たちがいた。 はじめは外敵から土地を守るため、あるいは集団社会を効率良く機能させるためや秩序を保つために、切実に強力な統治者・指導者の存在が必要とされたのでしょう。けれどやがて、権力の味を占め欲に溺れた王者たちの多くが暴走し、際限なく殺戮や略奪を繰り返す血に飢えた破壊者へと変貌していった。 もはやこれ以上壊すべきものが何も見当たらないというほどの廃墟を目の当たりにしたり、権力を恐れるがゆえに追従する者は大勢いても、自分を真に理解する者は誰もいないという孤独に苛まれたり、また、自己の偉大さの証明と信じていた城や国家自体が崩壊してしまうという、大きな挫折・敗北を経験したとき、彼らはようやく正気に返る。肩書きのないただの人間としての自分自身に、ようやく出会うわけです。 勿論、中には、長い間拠り所としてきた権力を失った時点で、自分はもうお終いだと感じて自ら破滅の道を選んだり、自暴自棄になって一層破壊的な行動に出たりする者もいますが(← というか、こういうタイプの方が圧倒的に多いだろうと思いますが(-_-;))、私はこうも思う。試行錯誤の過程で罪や過ちや失敗を重ねてきた者ほど、人として多くを悟り、アンバランスで凸凹した気質に悩まされてきた者ほど、やがては円熟して、他の人たちにはない芯の強さと落ち着きを得るものだ、と。 この詩はそんな、熱く激しく生き抜いた世界の(元)リーダーや(元)王者たちが、最後にたどり着いたかもしれない悟りの境地を思い浮かべて描写したものです。彼らの今を静かに受け止め、踏みしだかれた世界にもまだ先があることを示す一方で、取り返しのつかない爪痕を残してしまった事実は決して忘れてはならない、彼等の悟りや改心によってさえ犯した過ちは許されはしない ── といったことを諭す厳しさをも併せ持つ存在として、闇にも光にも属さない『風』を題材に選びました。 注)私の作品を一部でも引用・転載する場合は、必ず『悠冴紀作』と明記してください。 自分の作品であるかのように公開するのは、著作権の侵害に当たりますm(_ _)m
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